私たちの暮らしに馴染むラグは、何もない空間にあたたかみと彩りをもたらします。
ラグは家具代わりにもなり、ときには空間の装飾にもなる万能なアイテムです。
しかしラグはいつ頃からどのような目的で存在していたのでしょうか。ラグの歴史について紐解いていきます。
ラグの歴史
ラグの起源
ラグや絨毯の始まりは原始時代にまでさかのぼります。
人は当時、住んでいた洞窟などの地面からの冷えや湿気を防ぎ、快適に過ごすために、床に獣の皮や乾燥させた草などを敷いていました。農耕や牧畜の時代に入ると、中央アジアでは牧羊が盛んになり、羊の毛を利用してフェルトが作られ、これが敷きものの他、靴、帽子、住居などにも利用されていました。
これに対し暑い地方では、植物を利用して、冷涼感のある敷物が作られました。
紀元前4000年頃の古代エジプトでは平織りをはじめ、綾織り、網代織り、つづれ織りなど様々な織り方が考案され、紀元前2000年頃にはパイル織りが作られました。
現在最古の絨毯を見ることができるのは、南シベリアのアルタイ山中バジリク峡谷の古墳から発見された「パジリク絨毯」といわれるペルシャ絨毯です。羊毛と駱駝(らくだ)の毛の地糸に羊毛のパイルを用いられた見事な絨毯はスキタイ王の埋蔵品の一部でした。
古代、身分の高い人々の遺体には来世に無事に行くことのできる祈りと、そこで現世における同じ身分が保証されるようにと、生前の持ち物全てを葬られていたからです。
世界への広がり
12世紀前にインドで、パイルの織物がつくられたことがきっかけで瞬く間に東洋の地域に普及していきました。
その後、中東を訪れた十字軍によってヨーロッパへ伝わっていきます。
中央アジアで発生した織物カーペットは、シルクロードを行き来する商隊、時には戦争などによって、13世紀ごろまでにアラビア―アフリカ・カフカス(コーカサス)―ヨーロッパ・モロッコ―スペインへと広がりました。
ヨーロッパの富裕層は、ペルシャで作られたオリエンタル絨毯を求め、石造りの家の床に敷いたり、壁に豪華なタペストリーとして東洋の結び目の敷物を収集し始めました。
このように世界へ広がった敷物は、各地域の伝統や文化だけでなく技術を取り込み、独自のスタイルへ進化し敷物文化が開花するようになったのです。
日本とラグ
日本におけるラグや敷物の歴史は長く、魏志倭人伝の中で、魏の皇帝が卑弥呼に朝貢の答礼として、絨毯と思われる敷物を贈ったとの記述もあることから古くから存在していることがわかります。
なかでもペルシャ絨毯が日本に伝来したのは、安土桃山時代の事です。
当時のシルクロードと中国を経て、日本へ渡って来たと考えられ時の権力者である豊臣秀吉がその美しさを気に入り、
絨毯を裁断させて陣羽織として身に纏っていました。
ペルシャ絨毯発祥の地であるイランにある、靴を脱ぐという生活スタイルが日本と共通点であることから、異国の敷物文化が受け入れやすかったともいわれています。
また敷物は経年変化を楽しむことができ、日本の伝統工芸品と通ずることからも、日本人の暮らしに馴染んでいったと考えられます。
ラグの現在
現代では、伝統的な手織りラグから工業製品まで、多種多様なスタイルのラグが世界中で製造されています。
近代に入るまでは糸を結びつけずにパイル(布面にある毛や輪のこと)を作るビロードが主流でした。
このビロードは産業革命以後、蒸気機関の発明や様々な紡績機・織機の発達によりカーペットが生み出され、織らないカーペットが誕生するなど進化を遂げていきました。
敷物一枚に織り手の物語があり、これからもそのスタイルは進化していくことでしょう。
お部屋にラグがあるだけで空間がパッと華やかになり、心地よい空間が生み出されます。
取り入れやすいリビングから始めてみてはいかがでしょう。
ラグは空間を彩るもの
歴史を振り返ってみると、人は本能的に布とともに快適さを追求していたことがわかります。
敷物は生活の中に馴染むように、形を変えて進化を遂げ、生活に必要不可欠な存在だったということ。
現在になったいまでもこの事実は変わらないでしょう。
ラグ一枚で防音や防寒対策にもなる多機能なラグですが、ひとつひとつに織り手の祈りや願いも込められています。
昔からの技法で現在まで受け継がれ、さらに進化を重ねるラグは文化的意義を含んでいるといえるでしょう。
ラグや敷物は空間に彩りがもたらし、温もりをあたえてくれます。
あなたのお気に入りをぜひ見つけてみて。